PAINT IT BLACK

オレの師匠、柳田さん75歳。

掃除のお師匠さんだ。

今日退職を迎えた。

仕事終わりにドトールコーヒーでごちそうになった。

柳田さんはホットコーヒー,僕はオレンジジュースとサンドイッチだ。

 

仕事の悩みをいつも聞いてくれる。

柳田さんは小柄で痩せていて声が凄く小さい。

それでいて、もの凄いおしゃべりだ。

だから話をする時は少し前屈みにならないと僕の耳まで届かないのだ。

 

昭和25年に東京の焼け野原に来て仕事に就いた。

その頃は月に一度、一日が休みだったそうだ。

東京万博あたりから週に一日、日曜日を休みにしないと若者は

働きたがらなかったとか人生の話など色々聞いた。

午後から孫の授業参観だというので店を出た。

 

店を出ると6月の蒸し暑さに汗が体を包んだ。

渋谷駅方面へ信号を渡り、僕は別れを告げた。

すると柳田さんは僕の左手を握った。

なんで左手?と思った。

さやならだよ、がんばってねの握手だ。両手に力が入って揺れている。

そして僕をぎゅっと抱きしめた。

僕はちょっと大げさだなと思った。

渋谷のタワーレコード前の交差点だったから恥ずかしかったが,僕も柳田さんをぎゅっとしてお互いに背中をポンポンとたたき合った。

またすぐに電話するので話を聞いて下さい。

 

柳田さんは渋谷駅へ向かい、

僕は宮下公園の下をくぐって歩いた。

あ~暑い、今日も外は蒸し暑くて汗ばんでいる。

目頭が熱くなった。

明治通りの交差点で歩道脇のてすりに座った。

行き交う車両の音は自然の風のようだった。

 

それから青山ブックセンターまで歩いた。

そのまま地下入口へのエスカレーターに乗った時、

僕の前には太ったサラリーマン、その前には、白いワンピースの女性が乗っていた。

 

ん?

よく見るとその白いワンピースからはなんと黒いTバックが透けていたのだ!

 

おぉ、メルセデスベンツのエンブレムを黒く塗って、逆さにした様なTバック!

メルセデスTバックが僕らの眼球を挑発している。

サラリーマンは周りに注意を払いながらメルセデスを鑑賞している。

 

この終わりまで決して逃れる事のできない快楽の自動階段よ!視界の悪戯よ!

しかし私には分かる、終焉の地への秒読みはあと僅かなのだ、、、!

 

それは夏を予感させるものでは決して無く、夏という物語はもう始まっていて、

君は既にその物語の登場人物の一人なんだよと言われている様だった。

 

好きな車?

メルセデス!

 

僕は柳田さんの事などすっかり忘れていた。